心のバリアフリー

「心のバリアフリー」

公益財団法人岡山県身体障害者福祉連合会

会長 藤田 勉

 

「心のバリアフリーをどう進めるのか」「共生の社会」実現を目指す私達障害者の環境は、東京オリ・パラ2020でどう変わるか。

スロープとかエレベーター等のハード面でのバリアフリーは進みつつあるが、ソフト面でのバリアフリー「心のバリアフリー」はこれからです。「心のバリア」とは差別や偏見です。偏見は差別の元であり、偏見は無理解から生まれるのです。それに対応するには相互理解つまり、双方からのコミュニケーション必要ですが、難聴者にはコミュニケーションのバリアがある。すでにこの時点で偏見が生まれる可能性を持っている。そのうえ、「見えない障害者」であり、障害者であることを相手が理解しづらい。話が通じにくい、反応が鈍い、時には取り違えて的外れのことを言う。これらのことから「頭のめぐりが悪い」「社会性が少ない」「トンチンカンで一貫性のない人間」と取られてしまう可能性があります。難聴の人は決してそんなことはありません。ここにすでに偏見が芽生えているのです。そんな「間違った偏見を持つな」と叫んでも心の中までは規制出来ない。では、どうすればよいのか?

ここで参考になるかもしれない実例を申します。45年前倉敷に平山鶴市さんというベテランの市会議員がおられました。難聴者で立派な障害者リーダーでした。自分は難聴者であることを決して隠しませんでした。その頃は良い補聴器もなかった。分り難い事が有ったら、必ず、もう一度言ってくれと頼んでいました。側にいる親しい人に「今何を言った?」と尋ねていました。疑念を感じた時には、分るまで徹底して聞いていました。「フンフン」と分かった振りは絶対しなかった。そして、その話の内容が難聴者を馬鹿にする、すなわち難聴者の人権に係わることが有るなら、相手が理解し謝るまで手を緩めなかった。強い、戦う精神がありました。いつもは小柄な優しい叔父さんで、皆さんから「○○の鶴さん」と親しみのある愛称で呼ばれていました。ご自分も「○○の鶴さん」と呼ばれるのを我慢するより、誇りにしていた様に感じられました。難聴者に対する偏見と差別に真っ向から立ち向かった先人の例を申し上げましたが、この出会いは私の心に有ったかも知れない難聴者に対する偏見をきれいに拭い去ってくれました。45年前の鶴さんとの出会いが私の心の中に根づき、私の障害者活動に生かされております。