公益社団法人 岡山県難聴者協会 会長 森 俊己
今年9月、岩波新書『難聴を生きる 音から隔てられて』が発刊されました。聞こえないという見えない障害を抱えて生きる当事者と、多分野で関わる支援者の声が収められた本です。50年前に出版された『音から隔てられて ―難聴者の声―』の続編と位置づけられており、入谷仙介、林瓢介両氏編集の第1弾は、私が難聴活動に関わる最初の一歩となった本でもあります。その出会いについて、今号と次号にわたる長編となりますが、お聞きいただきたいと思います。
難聴で病弱だった幼少期、私はいわゆる落ちこぼれでした。特に小学2年の担任の先生は難聴についての知識がなく、発達の遅れ・学習困難のある子どもという認識だったようです。先生の声は充分聞こえず、成績も芳しいものではなく、親しい級友も限られていました。今思えば、私自身にも難聴という自覚がなく、学校生活にも充分対応できず、流されるまま、鬱屈した気持ちを抱えて過ごしていました。
5年生になり、私の難聴に気づいた担任の先生に聴力検査を勧められ、私も難聴を自覚し、周囲も知るところとなりました。この先生に「あなたは一番前の席に座りなさい」と指示された私は、学業を終える日までその指示を守り続けました。人並みのスキルを身につけることができたのは、この先生のおかげです。合理的配慮といった考え方が全くなかった当時、誰も気づかないくらい自然な彼女の配慮も、私には十分届きました。思えばあれが、私の最初のターニングポイントでありました。
社会人になってからも社会を斜めに見るような時代が長く続き、いわばグレーの青春時代を送っていたある日、とある本屋で棚に並べられた本の背表紙を眺めておりました。ふと目についたのが『音から隔てられて』。聞こえないことは自覚しておりましたので、題名に興味を惹かれ、手にとって読んでみました。私の第二のターニングポイントでしょう。これが50年前の出来事です。「難聴者の声」という副題の通り、そこには難聴者たちの、私と全く同じ体験、もっと重度の方の体験がつづられていました。私以外の難聴者の声に接した初めての経験でした。会ったことはないけれど、私の他にも社会の中で苦闘している人がいるのだと知った初めての体験です。赤裸々につづられたその人たちの苦悩に、悩んでいるのは私一人ではなかったのだと気づかされ、私が特別な、「変な人」ではなかったのだと、一種の安心感を覚えたことを、今でもはっきりと覚えています。(次号につづく)

