「 中島みゆき 」

公益社団法人 岡山県難聴者協会 会長  森  俊己

 昨今は、聴覚障害であっても音楽を楽しむ人がネットを賑わせて当たり前の世界となっているけど、私の青年時は聞こえない人が音楽を楽しむ姿が話題になるような時代でした。かく言う私はどうだったのかと振り返ってみると、幼稚園の童謡から小学校、中学校と音楽の授業は大嫌いだった。合唱に加われば「低音の魅力」とからかわれ(今から思えば幼少期から高音部は全ろうで聞こえてなかったため、その音域の発音が出来てなかったのだろう)誤魔化して口パクで合唱に加われば「歌ってない」と怒られた。こんな私が高校入学すると、あろうことか中学の同級生が「お前も吹奏楽に入らんか」と声かけされ、何度も断ったけど、彼の押しに負けてパーカッションをする羽目になってしまった。その高校は当時、県内で三本の指に入るレベルで案の定、レギュラーにはなれなく、途中で挫折したのだけど、おかげで譜面からリズムだけは読めるようになった。

 何が幸いするか分からないもので、音楽に興味が持てるようになった。おりしも世間ではフォークソング全盛の時代で自分だけの音楽の世界を楽しんでいました。ただ、「難聴者がレコード買ってまで聴くのは身にすぎる」と購入まで手が出なかったのですが、ある日何を思ったのかレコード店で中島みゆきの初期のLP版で「みんな去ってしまった」の題名に惹かれ衝動買いし、ヘッドホンで何気なく聞いてみた。聞けば聞くほどメロディーもさることながら彼女の歌詞に感情を揺さぶられてしまった。当時の私に寄り添うようで、それからは、彼女の新作LP版が出るたびにレコード店に走っていました。選ぶのは難しいのだけど「根雪」であったり究極は「エレーン」。それは当時の癒しになっていたのだと今思う。

 あれから数十年が経ち、彼女のテイストが初期の頃と違っているけど「地上の星」「命の別名」も聞いている。これも良いけど、初期の中島みゆきの歌は忘れない。

 高校の時、吹奏楽に誘って音楽の楽しみを教えてくれたタイちゃんに感謝です。