2018年3月号巻頭言 川崎医療福祉大学  福田章一郎

常識ということば

             川崎医療福祉大学  福田章一郎

 

「そんなの常識だろ」と自分を正当化するためによく使われることばですが、他人はそれを常識とは認めず、論争が起こることもしばしばです。テレビで「日本の常識は世界には通用しない」と、したり顔で、さもグローバルな視点をひけらかす方もおられますが、その方もある面自分の常識にとらわれているとも言えます。それぞれの立場の違いにより、自分の思っていることと他人の思っていることには違いがあり、お互い気づかず生活していることが多いということかもしれません。

そうした延長線上に、合理的配慮ということばもあるように思います。合理的とは、理性に合わせるということでもあり、理性にはロゴス(ことば)という意味もあるため、合理的とは、ことばを合わせる、つまり話し合いの上でと考えてもよいでしょう。

いろいろな社会の変化にともない、大学にも専門教育を習得するため多様な学生が入学してこられます。もちろんその中には言語聴覚士を目指して入学して来られる聴覚障害や発達障害などを持つ方もおられます。講義の内容には当然配慮が必要ですが、学ぶ知識や実習などの内容はどの学生にも同じであり、言語聴覚障害各領域の基礎、専門分野を基にリハビリテーションの技術を身に着けてもらいます。障害を持つ学生にとりその知識の一部は自らの経験と重なる部分もあるため、具体的な内容として理解しやすい場合もあるでしょう。かといって、自らを客観的に把握できているかというとそう簡単ではないようです。自分の経験から得た知識と、専門的な知識と必ずしも一致するとは限りません。言語聴覚障害学の習得を通して、あくまでも、自分の例は個人的なものであり誰にでもあてはまるものではないという専門的な視点に立ち物事を考えられるようになるにはしばらく経験が必要です。それはどの学生にも教員にも言えることです。歳を重ねても、どんな立場になっても、常識にとらわれないようにとは思いながら、難しいと常々考えさせられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

覚士を目指して入学して来られる聴覚障害や発達障害などを持つ方もおられます。講義の内容には当然配慮が必要です

が、学ぶ知識や実習などの内容はどの学生にも同じであり、言語聴覚障害各領域の基礎、専門分野を基にリハビリテーションの技術を身に着けてもらいます。障害を持つ学生にとりその知識の一部は自らの経験と重なる部分もあるため、具体的な内容として理解しやすい場合もあるでしょう。かといって、自らを客観的に把握できているかというとそう簡単ではないようです。自分の経験から得た知識と、専門的な知識と必ずしも一致するとは限りません。言語聴覚障害学の習得を通して、あくまでも、自分の例は個人的なものであり誰にでもあてはまるものではないという専門的な視点に立ち物事を考えられるようになるにはしばらく経験が必要です。それはどの学生にも教員にも言えることです。歳を重ねても、どんな立場になっても、常識にとらわれないようにとは思いながら、難しいと常々考えさせられます。